
企業における睡眠対策というと、「睡眠セミナーを開催する」「睡眠に関する情報を社内で発信する」といった啓発施策を思い浮かべる方も多いかもしれません。
しかし、睡眠は従業員一人ひとりの健康だけでなく、メンタルヘルス、安全、そして日中のパフォーマンスにも関わるテーマです。
では、睡眠を一過性の健康イベントで終わらせず、組織の健康・安全戦略として継続的に取り組むには、何が必要なのでしょうか。
今回は、ニューロスペースとの共催セミナーでご紹介いただいた、三菱ふそうトラック・バス株式会社の睡眠施策の事例をもとに、企業が睡眠改善を進めるうえでのポイントをご紹介します。
●なぜ「睡眠」を健康経営の重点課題にしたのか

三菱ふそうトラック・バス株式会社では、2023年から健康経営への取り組みを本格的にスタートしました。同社が健康経営上の大きな課題として設定していたのが、「高ストレス」と「高血圧」です。健診やストレスチェックなどのデータを分析し、さまざまな健康指標との関連を確認していくなかで浮かび上がってきたのが、睡眠は高ストレス、高血圧の双方と関連する重要なテーマであるということでした。さらに、睡眠休養感をKPIとして継続的に追っていたものの、他の健康指標に改善が見られる一方、睡眠については目標を達成できていませんでした。
そこで2025年初頭、同社は睡眠を健康経営の重点テーマとして位置づけ、本格的な施策をスタートさせます。ここで重要なのは、睡眠を単なる「よく眠れているか」という問題として捉えなかったことです。
睡眠は、
- 従業員の身体的な健康
- メンタルヘルス
- 運転や作業中の安全
- 集中力や日中のパフォーマンス
などを横断する、組織にとっての「基盤となるテーマ」として位置づけられました。
●まず取り組んだのは「自社の睡眠課題を知ること」

睡眠施策を始める際、いきなりセミナーを実施したわけではありません。最初に行ったのが、従業員へのアンケートによる課題の見える化です。
2025年7月頃に実施した睡眠に関するアンケートには、当時約9,000人の従業員のうち約900人が回答しました。
それまで健康関連のアンケートでは100〜200人程度の回答にとどまることが多かったなか、約900人から回答が集まったこと自体が、従業員の睡眠に対する関心の高さを示す結果となりました。
さらに興味深かったのが、所属する職場によってニーズが異なっていたことです。
本社・メーカー部門では「睡眠についての知識を得たい」という声が多かった一方、販売・整備拠点では「就業環境や睡眠環境そのものを改善してほしい」というニーズが見えてきました。
「睡眠」という同じテーマであっても、働き方や職種によって課題は異なります。
まず自社の状態を把握し、そこから施策を考えることが重要だと分かります。
●安全に関わる課題として、SASスクリーニングを実施

課題の把握を進めるなかで、同社が最初の具体的なスクリーニングテーマとして選んだのが、SAS(睡眠時無呼吸症候群)でした。理由は明確です。
数ある睡眠課題のなかでも、SASは健康だけでなく、眠気による事故など安全や命に関わる可能性があるテーマだからです。
ニューロスペースのSASサーベイを実施したところ、回答者は2,500人を超えました。
当初の睡眠アンケートをさらに大きく上回る回答が集まり、改めて従業員の関心の高さが確認されました。
実施にあたっては、個人情報への配慮も重要なポイントでした。
回答結果を閲覧できるのはニューロスペースのみとし、会社側では個人の結果を閲覧・保存しない設計とすることで、従業員が安心して回答できる環境を整えました。
施策への参加率を高めるうえでは、「会社に個人の健康情報をどこまで知られるのか」という心理的なハードルへの配慮も欠かせません。
●「知識を伝える」だけでなく「行動できる」セミナーへ

SASサーベイの結果を踏まえ、次に実施したのが睡眠セミナーです。
セミナーでは、睡眠の役割や「健康づくりのための睡眠ガイド2023」に沿った考え方に加え、従業員が日常生活で実践できる具体的な睡眠改善方法を紹介しました。
大切にしたのは、単に「何時間眠りましょう」と知識を伝えることではありません。
たとえば、
「寝る前にどうやってリラックス状態をつくるのか」
「スマートフォンとの付き合い方をどう変えるのか」
といったように、明日から変えられる具体的な行動にまで落とし込むことです。
睡眠改善は、「知っている」だけでは変わりません。
知識を行動に変換できる設計があってこそ、従業員の実際の生活習慣の変化につながります。
●施策を「一度きり」で終わらせない仕組み
三菱ふそうトラック・バスの事例で特に参考になるのが、施策を単発で終わらせていないことです。同社では、『見える化 → 教育 → 行動変容 → 効果検証 → 次の施策』
というサイクルを継続的に回しています。
- アンケートやサーベイで自社の課題を確認する。
- 結果を従業員にフィードバックし、必要な教育を行う。
- その後の変化を再びデータで確認し、従業員や経営層へ共有する。
- そして、その結果を次年度の施策につなげていく。
このサイクルそのものを、従業員にも経営層にも「見せる」ことを大切にしているといいます。
その結果、同社がKPIとして追っていた睡眠休養感は、約59%から63.9%へと、1年間で約5ポイント改善しました。重要なのは「セミナーを実施した」という事実ではありません。
施策によって組織にどのような変化が起きたのかを測り、次の意思決定につなげることです。
●全社一律から「職種別」の睡眠対策へ

課題が見えるようになると、次に必要になるのが、それぞれの業務に合わせた施策です。
2026年には、全社員を対象とした取り組みから一歩進み、運転業務や製造現場など、職務別の睡眠研修も実施されています。
運転業務向けには、「マイクロスリープ」をテーマとした研修を開催。
マイクロスリープとは、数秒間、本人が意識しないまま眠ってしまう状態です。
デスクワークであれば作業ミスにつながることがありますが、運転業務では重大事故につながる可能性があります。
つまり、同じ「睡眠不足」であっても、業務によってリスクの現れ方は大きく異なります。
だからこそ、企業の睡眠施策も「全員に同じことを伝える」だけではなく、職種や業務特性に応じた対策へ発展させることが重要になります。
●従業員から、その家族、そして「すべての働く人」へ

さらに同社では、睡眠施策の対象そのものも広げ始めています。従業員だけでなく、同居する家族にも睡眠チェックの対象を広げる取り組みを進めています。
背景には、「睡眠改善は本人だけでは継続しにくいことがあり、家族の協力が改善の定着につながるのではないか」という考えがあります。
これは、同社が健康経営宣言に掲げる「ふそうで働く人とその家族の心と体の健康づくり」とも一致する取り組みです。また、運転業務などに携わる派遣社員や請負会社の従業員などにも対象を広げようとしています。自社の正社員だけではなく、その会社に関わって働く人全体の安全と健康をどう支えるか。睡眠施策が、健康経営の枠を越え、組織全体の安全・ウェルビーイング戦略へと広がっていることが分かります。
●成功の鍵は「まず小さく始め、結果を見せ続けること」

今回の事例から見えてくる、企業が睡眠施策を進めるポイントはシンプルです。
まず、
- 自社にどのような睡眠課題があるのかを見える化する。
- そのすべてを一度に解決しようとせず、優先順位の高い課題から施策を始める。
- 実施した後は必ず結果を確認し、従業員と経営層にフィードバックする。
- そして、その結果を次の施策につなげる。
このサイクルを繰り返すことです。
また、健康施策を定着させるためには、「正しいことを伝える」だけでなく、従業員が参加したくなる仕掛けも重要です。
三菱ふそうトラック・バスでは、各部門に「ヘルスプロモーションアンバサダー」を置き、独自の健康施策に取り組んだ社員や部門を表彰するなど、健康づくりを前向きに続けられる文化づくりにも取り組んでいます。
睡眠改善も同じです。
「眠らなければいけない」という義務ではなく、「睡眠を整えることで仕事や生活をより良くできる」という実感につなげられるかどうかが、継続の鍵になります。
● 睡眠を、企業の「安全・健康戦略」に
睡眠はこれまで、個人が自分で管理する生活習慣の一つとして扱われることが少なくありませんでした。しかし実際には、睡眠は健康、メンタルヘルス、安全、生産性など、企業が抱えるさまざまな課題の土台にあります。
だからこそ、『企業が睡眠に取り組む際には、一度きりのセミナーではなく、課題を見える化し、適切な施策を実施し、効果を検証し、改善を続けていく』
そんな組織的な仕組みが求められます。
三菱ふそうトラック・バスの取り組みは、「睡眠を個人の問題から、組織の安全・健康戦略へ変えていく」一つの実践例といえるでしょう。
ニューロスペースでは、SAS(睡眠時無呼吸症候群)のスクリーニング、睡眠課題の可視化、睡眠セミナー、ウェアラブルデバイスを活用した睡眠改善プログラムなどを通じて、企業の睡眠施策を支援しています。
「まず自社の睡眠課題を知りたい」「健康経営の施策として睡眠対策を始めたい」「単発のセミナーではなく、継続的な改善につなげたい」といった課題をお持ちの企業様は、ぜひお気軽にご相談ください。
執筆者 小林 孝徳(こばやし・たかのり)
株式会社ニューロスペース 代表取締役社長
一般社団法人 日本睡眠教育機構認定 上級睡眠健康指導士
一般社団法人睡眠ヘルスケア協議会 理事長
Forbes Japanオフィシャルコラムニスト。
自身の睡眠障害の実体験をもとにこの大きな社会課題を解決したいと決意し2013年に株式会社ニューロスペースを創業。これまで健康経営や働き方改革を推進する企業200社10万人以上のビジネスパーソンの睡眠改善を支援。一人ひとり最適な答えが異なる睡眠を、如何に楽しくデザインし改善できる仕組みづくりを専門としている。
著書:
・ハイパフォーマーの睡眠技術 Sleep Skill(実業之日本社)
・あなたの良眠ナビ(池田書店)
・夜型さんの無敵の仕事術(ナツメ社)