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その不眠、実は正常です ― 産業保健で知っておきたい“正常な不眠”とは?

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「眠れない=悪」ではない理由を、産業保健の視点から考える

「最近眠れていますか?」

産業医面談や保健師面談で、ほぼ必ずと言っていいほど使われる質問です。
不眠はストレス反応やメンタル不調の初期サインとして重要であり、早期発見・早期対応の観点からも妥当な問いかけでしょう。

一方で、私たちは無意識のうちに

「眠れない=問題」「改善すべき状態」

と一括りにしていないでしょうか。

実は、不眠には放置すべき不眠、さらにはむしろメリットのある不眠が存在します。
本記事では、特にトラウマ的出来事の直後に起こる不眠について、その生理的意味と産業保健現場での実践的な捉え方を解説します。

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不眠は「症状」ではなく「反応」である

不眠は病名ではありません。

あくまで身体や脳が環境に適応しようとした結果として生じる反応です。

長時間労働、対人ストレス、交代勤務、家庭問題など、背景はさまざまですが、その中でも注意深く扱うべきなのが、強い衝撃を伴う出来事の直後に出現する不眠です。

例としては以下のようなケースがあります。

  • 大規模災害(東日本大震災など)
  • 職場での重大事故・労災
  • 強いハラスメント体験
  • 突然の解雇・配置転換
  • 近親者の急死や重篤な病気の発覚

これらの出来事の直後に

「頭は疲れているのに眠れない」「布団に入ると映像が浮かぶ」「うとうとしてもすぐ目が覚める」

と訴える人は少なくありません。

ここで重要なのは、この不眠が“異常反応”とは限らないという点です。

トラウマ直後の不眠は「脳の防御反応」

睡眠、特にレム睡眠には、記憶を整理・固定化する働きがあります。日中に体験した出来事を「意味のある記憶」として長期保存するプロセスです。

しかし、あまりにも強烈で恐怖を伴う体験の場合、その記憶が固定化されることで、将来的に以下のような問題が生じる可能性があります。

  • フラッシュバック
  • 悪夢
  • 過覚醒
  • PTSD(心的外傷後ストレス障害)

そのため脳は、トラウマ直後にあえて眠らせないという選択をすることがあります。

つまり、「今はまだ、この記憶を深く定着させない方がいい」という、極めて合理的な自己防衛です。

この視点に立つと、

悲惨な出来事のあとに眠れないのは、正常な身体反応であることが理解できます。

「眠れないこと」そのものを問題視しない

産業保健の現場で陥りやすいのが、

「眠れていない → すぐに治療・投薬」

という短絡的な対応です。

しかし、トラウマ直後の不眠においては、以下の点を丁寧に見極める必要があります。

確認すべきポイント

  • 不眠はいつから始まったか
  • どのような出来事の後か
  • 本人は不眠をどの程度つらいと感じているか
  • 日中の業務遂行能力は保たれているか
  • 強い希死念慮や抑うつ症状を伴っていないか

本人が

「眠れないけれど、今は仕方ないと思っている」

「無理に寝ようとすると余計につらい」

と感じている場合、積極的な介入が必ずしも正解とは限りません

早すぎる介入がもたらすリスク

一部の研究では、トラウマ直後に睡眠薬などで強制的に睡眠を取らせることが、トラウマ記憶の固定化を促進する可能性が示唆されています。

もちろん、強い苦痛や機能障害がある場合は治療が必要です。

しかし、

  • 「眠れていないこと」自体より
  • 「眠れないことをどう意味づけているか」

の方が、予後に大きく影響するケースも少なくありません。

産業保健職に求められるスタンス

私たち専門職に求められるのは、

不眠を一律に評価しない姿勢です。

「眠れない=危険信号」ではなく、

  • これは回復過程の一部なのか
  • 防御反応として妥当なのか
  • 介入すべきタイミングか

を見極める視点が重要です。

そのためには、次のような関わりが有効です。

  • 「無理に寝なくても大丈夫ですよ」と伝える
  • 不眠の意味を説明し、本人の不安を軽減する
  • 経過を見ながら、必要なときに支援できる関係を保つ

不眠にも「意味」がある

不眠は、単なる不具合ではありません。

ときにそれは、心と脳が自分を守るために選んだ戦略です。

産業保健の現場では、「治す」「改善する」だけでなく、

「理解する」「待つ」ことも立派な支援になります。

眠れないことが、必ずしも悪ではない。その視点を持つことが、支援する側の引き出しを確実に増やしてくれるはずです。

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参考文献一覧

1.睡眠と記憶固定・トラウマの基礎

1. Walker, M. P., & Stickgold, R. (2006).
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Annual Review of Psychology, 57, 139–166.

2. Stickgold, R. (2002).
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Journal of Clinical Psychology, 58(1), 61–75.

3. Payne, J. D., & Kensinger, E. A. (2010).
Sleep leads to changes in the emotional memory trace.
Journal of Cognitive Neuroscience, 22(6), 1285–1297.

2.トラウマ直後の睡眠とPTSDリスク

4. van der Helm, E., & Walker, M. P. (2009).
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3.早期介入・睡眠薬使用に関する注意点

7. Mellman, T. A., Bustamante, V., Fins, A. I., Pigeon, W. R., & Nolan, B. (2002).
REM sleep and the early development of posttraumatic stress disorder.
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9. National Institute for Health and Care Excellence(NICE)(2018).
Post-traumatic stress disorder (NG116).

4.産業保健・職域メンタルヘルスの視点

10. 厚生労働省(2014)
心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き

11. 日本産業衛生学会(2021)
産業保健職のためのメンタルヘルス対応指針

執筆者:小林 孝徳(こばやし・たかのり)

株式会社ニューロスペース代表取締役社長
一般社団法人 睡眠ヘルスケア協議会 代表理事
一般社団法人 日本睡眠教育機構 認定 上級睡眠健康指導士

著書:
①ハイパフォーマーの睡眠技術 Sleep Skill(実業之日本社)
②睡眠パターン×働き方で導く!あなたの良眠ナビ(池田書店)
③Forbes Japanオフィシャルコラムニスト 睡眠をアップデート