近年、健康経営や人的資本経営の文脈において、従業員のメンタルヘルス対策は重要な経営課題となっています。ストレスチェック制度の定着や、産業医・カウンセラーの活用など、各社でさまざまな取り組みが進められていますが、「施策は増えているのに不調者は減らない」と感じている人事担当者も少なくありません。

Akinori Nakata氏による論文
「Work Hours, Sleep Sufficiency, and Prevalence of Depression Among Full-Time Employees」
は、こうした課題に対して、人事・健康経営の観点から非常に示唆に富む知見を提示しています。
本研究は、地域住民を対象としたフルタイム労働者の横断調査をもとに、労働時間、睡眠の充足度、抑うつ症状の有病率の関係を分析したものです。
注目すべき点は、「長時間労働そのもの」が必ずしも抑うつ症状と直接的に関連していなかった点です。
分析の結果、抑うつ症状と最も強く関連していたのは、睡眠が十分に取れていないことでした。
長時間労働者であっても、睡眠が確保されている場合には、抑うつ症状の有病率は必ずしも高くありませんでした。一方で、労働時間が比較的短くても、睡眠不足の人では抑うつ症状が多く見られました。このことから、睡眠不足が長時間労働とうつ症状をつなぐ媒介因子として機能している可能性が示唆されます。
この知見は、人事施策を検討する上で重要な示唆を与えます。
多くの企業では、残業時間の削減や有給休暇取得率の向上といった指標が、健康経営の中心に据えられています。しかし、形式的に労働時間が短縮されても、業務密度が高まり、結果として睡眠時間が削られてしまえば、メンタルヘルスの改善にはつながりません。
つまり、健康経営において本当に問うべきなのは、
「何時間働いているか」ではなく、「その働き方で十分に眠れているか」
という視点です。
人事および健康経営の実務に落とし込むためには、二次予防(不調者対応)に偏るのではなく、一次予防に重点を置いた施策設計が求められます。具体的には、以下のような取り組みが考えられます。
- 残業時間の管理に加えて、勤務終了時刻と翌日の始業時刻の間隔(勤務間インターバル)を意識した制度設計
- ストレスチェックと併せて、睡眠時間や睡眠充足度を定期的に可視化する仕組みの導入
- 管理職向けに、睡眠を削る働き方が部下の生産性やメンタルヘルスに与える影響を理解してもらうための教育
- 福利厚生施策としての睡眠教育や、生活リズム改善プログラムの提供
重要なのは、「睡眠は個人の自己管理の問題である」と切り離して考えないことです。
睡眠は、業務設計、評価制度、マネジメントの在り方と密接に関係しています。企業が無意識のうちに「眠れない働き方」を前提としていないかを見直すことこそが、健康経営の本質であると言えます。
執筆者:小林 孝徳(こばやし・たかのり)
株式会社ニューロスペース代表取締役社長
一般社団法人 睡眠ヘルスケア協議会 代表理事
一般社団法人 日本睡眠教育機構 認定 上級睡眠健康指導士
著書:
①ハイパフォーマーの睡眠技術 Sleep Skill(実業之日本社)
②睡眠パターン×働き方で導く!あなたの良眠ナビ(池田書店)
③Forbes Japanオフィシャルコラムニスト 睡眠をアップデート