「睡眠は大切だと分かっているが、業務や評価制度の話になると後回しにされてしまう」
人事や産業保健の現場で、こうした声を耳にすることは少なくありません。
しかし近年の研究は、睡眠を単なる生活習慣の問題として扱うことが、企業にとって大きな機会損失である可能性を示しています。睡眠は、従業員の健康指標であると同時に、企業の生産性や業績と結びつく経営指標でもあるのです。

企業によって「睡眠」はここまで違う
上場企業とその従業員を対象とした大規模データ分析によると、企業ごとに従業員の平均睡眠時間・睡眠の質には大きな差があります。平日の平均睡眠時間は、企業間で約1時間もの開きがあり、睡眠の質についても10段階評価で約2段階の差が確認されています。
注目すべきは、この差が個人属性(年齢・性別)だけでは説明できない点です。
つまり、「どの会社で働くか」が、従業員の睡眠を左右しているのです。
睡眠と利益率の関係——相関ではなく“打ち手”へ
さらに分析を進めると、睡眠時間・睡眠の質が高い企業ほど、売上高利益率(ROS)が高い傾向が見られます。
睡眠指標が上位20%の企業は、下位20%の企業と比べて、利益率が約1.8〜2.0ポイント高いという結果も示されています。
重要なポイントは、「もともと業績が良い企業だから睡眠も良い」という逆因果だけでは説明できないことです。
企業固有の要因を取り除いた分析でも、睡眠の改善がその後の利益率向上につながる可能性が示唆されており、睡眠は“結果指標”ではなく介入可能な変数であることが浮かび上がります。
睡眠を左右するのは「働き方」と「マネジメント」
では、企業はどこに手を打てばよいのでしょうか。研究結果から見えてくるのは、睡眠が次のような要素と強く結びついているという事実です。
残業時間・サービス残業の多さ
通勤時間の長さ
在宅勤務や柔軟な働き方の有無
仕事の目的・役割の明確さ
有給休暇の取得状況

たとえば、月10時間の残業削減は、平日の睡眠時間を平均で10分以上延ばす可能性があると推計されています。これは個人の努力ではなく、制度設計やマネジメントによって実現できる改善です。
人事・産業医・保健師に求められる視点の転換
ここで重要なのは、睡眠を「セルフケア教育」だけで終わらせないことです。睡眠衛生指導やeラーニングはもちろん重要ですが、それだけでは構造的な睡眠不足は解消されません。
人事は、評価制度や業務設計、長時間労働が常態化する組織構造をどう変えるか。
産業医・保健師は、個人面談や健診データを通じて、睡眠の問題を職場起因のリスクとしてどう可視化し、経営に伝えるか。
睡眠は、人事施策と産業保健施策の「交差点」にあるテーマです。両者が連携することで初めて、睡眠は企業全体のパフォーマンス向上につながる施策になります。
睡眠はコストではなく、投資である
睡眠に取り組むことは、「従業員に優しい会社」をアピールするためだけのものではありません。
それは、人的資本への投資であり、将来の生産性や業績を左右する戦略的な意思決定です。
「睡眠を確保できる働き方ができているか」
この問いを、人事・産業保健の共通言語として持つことが、これからの健康経営の質を大きく左右していくのではないでしょうか?
執筆者
小林 孝徳(こばやし・たかのり)
株式会社ニューロスペース代表取締役社長
一般社団法人 睡眠ヘルスケア協議会 代表理事
一般社団法人 日本睡眠教育機構 認定 上級睡眠健康指導士
著書:
①ハイパフォーマーの睡眠技術 Sleep Skill(実業之日本社)
②睡眠パターン×働き方で導く!あなたの良眠ナビ(池田書店)
③Forbes Japanオフィシャルコラムニスト 睡眠をアップデート